栗原さん、ありがとうございました。

栗原さんと出会ったのは、針穴写真を始めて間もない頃。ワタベカメラという写真屋さんで出会いました。
それから、モノクロの現像を教えてもらい、栗原さんの暗室でプリントや引き伸ばしを教えてもらいました。


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年に何回か、遠方への撮影旅行のお誘いがあり、毎回は行けなかったけれど、長野や日光に行きました。私の展示は個展もグループ展も全部見に来てくれました。一番最初の京都の個展には、車で来てくれて、帰りは額や荷物を積んで家まで送ってくれました。


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秋山庄太郎のポートレートを撮り、私が国展でお世話になった瀬尾ひろみ先生とも偶然繋がってました。中学生の頃からずっと写真を撮り、プリントし、多くの人に写真のヒントを教え、いろんな人を撮影に連れて行き、いいと思う場所を教え、夜通し車を運転し、お酒が大好きなのにちょっと飲むと眠ってしまい、バイクのツーリングが好きで、小学生の同級生と山に登り、私の雨女に負けず劣らずの雨男でした。


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私が針穴写真を始めてから今まで、ずっとずっと付かず離れずの距離で、常に私の写真を見てくれていました。展示には、必ず来てくれて、全部見終わった後、静かに「いいじゃない」って言ってくれていました。


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季節の移ろい、光の向き、感じる温度、物の位置、構図、配色、写真を撮る考え方、たくさんの話をしました。撮影に行くとコンタックスのコンパクトカメラでみんなの集合写真を撮り、人数分プリントして配ってくれました。ハッセルブラッドの単焦点で風景写真を撮るのが好きで、ここぞというところでは、4x5でじっくり撮っていました。車はずっとシトロエン。バイクはずっとBMW。現像液は継ぎ足し継ぎ足しして使うのが好きで、毎回新しい液を作る人と飲み会の席で議論になっていました。


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2014年の夏、針穴写真協会の会員展をいつものようにバイクで見に来てくれて、その時に咳をしていたので「どうしたんですか?風邪?」と聞くと「春頃から咳が出るんだよね。なんか炎症起こしてるみたいでさ」「病院は?」「うん、内科と耳鼻咽喉科に診てもらってるよ。そのうち治るよ」「でもあまり続くようなら大きな病院で診て貰えば?」と会話したのを覚えている。



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その年の秋、電話があった。「実はさ、癌みたいなんだ」その年の暮れ、手術をした。最初の病院では声帯も含めて全部とった方がいいと言われ、セカンドオピニオンの病院で、声帯は取らなくて大丈夫と言われた。声帯を残して手術した。2014年末、手術が終わって落ち着いた頃、病院でゆっくり話した。元気だった。退院したらどこに撮影に行くとか、今度プリントしたいのがあるから暗室に入りたいとか、そういう話をした。


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2015年春前、遠方への撮影旅行に誘われた。いつもの夜通し運転しての旅だった。でも私はちょうどタイミング悪く誘われた日程は無理だったので断った。「また、今度ね」「うん、じゃあ、夏前かな」。


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2015年夏、会員展を見に行けないと電話があった。むせて、ものが食べられなくて痩ちゃったから、体力戻すためにちょっとだけ入院するだよって話だった。お見舞いに行った。びっくりするほど痩せてしまっていた。でも、元気で、会員展を見に行けないこと、どんなの出すの?とか、秋のグループ展は行くよとか、冬にまた日光に撮影に行こうとか、そういう話をした。

2週間ぐらいの入院だって言ってたのに。結局、声帯周りに取りきれていなかった癌があり、その手術をすることになった。


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9月。もうこの病院でこれ以上治療できることはないと言われた。余命、4ヶ月。

転院した病院にお見舞いに行った。最近の写真を持って行き、筆談で写真の話をした。プリントしたいのがあるから、早く良くなってと言ったら、「ごめんよ、ごめんよ」と謝られてしまった。痩せて、驚くほど小さくなってしまっていた。

暮れにお見舞いに行った。もう筆談もできなかった。起き上がることも、座ることもできなくなっていた。薄眼を開けて私の顔を見て、私だとわかったかどうか。1時間以上ベッドの脇に座って、栗原さんの横にいた。一度だけ、しっかり目を開いて、手を握った。きっとあの時は、私だとわかってくれただろう。
病室を出る時、なんども振り返った。余命4ヶ月は、12月だった。もう一緒に暗室に入ることも、撮影旅行にも行けないだろう。これが最後かもしれない。そう思ってなんども振り返って病室を後にした。


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明けて2016年。この三連休でまた病院に行こうと思っていた。
今日、栗原さんの告別式だった。たくさんの人が参列していた。バイクのツーリング仲間は、みんなバイクで来ていて、バイクスーツで参列していた。写真の仲間、山登りの同級生、いろんな人が参列していた。

私は後悔でいっぱいです。
最初の手術から1年とちょっとしか過ぎてない。こんなに早く、こんなことになるなんて、思ってなかった。2015年春の撮影旅行に行けばよかった。もっと早く、暗室に入りたいって言えばよかった。
次でいいや、次があるし、また今度ね。そう思っていた。
でも、次も今度もなかった。ないなんて、思ってなかった。
栗原さんに写真を見てもらえない日が来るなんて、考えてもいなかった。
私の最初からずっとずっと見てくれていたのに。来年の会員展をどうしたらいいんですか。栗原さんと引き伸ばししようと思って撮ってきたモノクロのフィルムをどうしたらいいんですか。この先、誰が私の最初からのことを知っててくれるんですか。
一番最初の内科や耳鼻咽喉科を恨むよ。そこで、単なる炎症なんて言わないで、すぐに検査していれば。セカンドオピニオンの病院でも声帯も取りましょうって言ってくれてたら。

この先、どれだけ展示をしても、もう栗原さんに「いいじゃない」って言ってもらえない。いつだって、誰よりも栗原さんに見てもらいたかった。
栗原さんだけが、私が何をしてきたか、何を考えてきたかを知っててくれてたから。栗原さんと出会えなければ、もっと簡単なところで適当に撮って楽しんでただけだったかもしれない。今みたいにはまっていなかったかもしれない。栗原さんがいたから、今の私がいるのです。
でも、今の気持ちは、針穴写真を撮る気にもなれない、だけど、それは栗原さんが一番喜ばないこと。だから必ず撮り続ける。撮るのはやめない。展示もする。足は止めない。この先も、栗原さんの「いいじゃない」って声を思い出しながら。


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今日の針穴写真は、栗原さんと一緒に撮ったときのもの。ほんの一部。
栗原宏文さん、67歳でした。本当に本当に、ありがとうございました。

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Commented by 千葉 at 2016-01-31 00:21 x
しきはんさん、ご無沙汰しております。
手強い疾病ですね。
誰かの訃報を聞くたびに悔しいと思います。
亡くなってしまう方と自分は何が違っているのだろうと思います。
今年の11月で5年になります。
私も止まってばかりいられないと思いました。
先が見えるというのは幸せなことですから。

写真、どれも素敵でした。
亡くなられた方も素敵な方だったということでしょう。

Commented by hariana_no_kokoro at 2016-02-01 21:19
>千葉さん
こんばんは!
こちらこそ、ご無沙汰してしまって、ごめんなさい。
コメントありがとうございます。

違っている何かが運とかそういうことじゃなく、
でもわからなくても今、その時を大切にしていけたらと
いつ自分の身に降りかかるか誰にもわからないのですから。

私は千葉さんの写真、好きです。
自分のペースでこれからも撮って欲しいし、見せて欲しいです。
今年も、会員展でお待ちしています!
by hariana_no_kokoro | 2016-01-09 17:04 | その他 | Trackback | Comments(2)

針穴写真(ピンホール写真)を綴ります


by hariana_no_kokoro